翠の季節に迎えられ


“紫陽花なないろ”



    4




時折、心此処にあらずという態になっては、
大好きなはずのイエスの声にも、
含羞みがすぎてのこと過敏にさえなっていたものが、
今はその真逆、まるきり反応がなくなるほど、
様子が訝しくなっていた釈迦牟尼様へ。


 『…もしかして我に返っちゃった?』


自分はあまりに人を疑わぬ楽観主義なところが強すぎて、
それへの相殺か、ついつい察しが悪くて愚鈍なところがあるから…と。
静かなお声でそんな風に囁いてきた神の子様。
知的で冷静、いつだって余裕を満たした態度にて、
落ち着いて構えているはずのブッダが
なのに様子がおかしいことの裏書、
今ようやっと“そうなんじゃなかろうか”と気がついたと、
真剣真摯な冴えた双眸で、愛する伴侶様へ訥々と紡いだものだから。

 『イエス?』

気のせいじゃないかしら、でもでも本当だったなら。
事実として確かめるのが恐ろしいことではあるが、
愛する人を苦しめるなんてそれこそとんでもない話、
それを思えば もはや知らん顔なんて出来はしないと。
随分と考えあぐねた末の一大決心、
覚悟を固めた上で えいと伝えてくれた彼だったらしく。

 『こんなことやっぱりいけないと我に返ってしまって、でも、
  私にどう切り出したらいいか、判らなくて困ってた?』

 『ちょっ…何言ってるの、イエス?』

そういや自分は、思慮深いブッダを困らせてばかり。
そのあたりを今更に猛省しているらしい、思いつめたお顔のイエスへ、
唐突も唐突、いきなり何を言い出すものかと、
ブッダの側としては当惑からだろう、唖然としていたようだったれど。
途中でハッとし、
自分の胸元、手のひらを伏せるよにして押さえて見せた。
そんな所作から“ああやっぱり”と
遅ればせながら気付いてしまったその通り、
彼は秘密裏に苦悩を抱えていたのだと確信してしま…いかけたのだが。

 『キミってば…もうもうもう。///////』

洞察も苦手な鈍感さで、察しなんて出来ないままに、
心優しいキミを困らせていたならそんな自分を許せない。
誰より何より大好きで、
どんな罰だって甘んじて受ける覚悟もあるほど大切な存在だけど。
でも、だからこそ困らせるのは本末転倒。
君にとっての一番を見定めたのなら、遠慮しないで言ってよと、
ドキドキしつつというのがありあり判る、
及び腰な様子と声音で告げたイエスだったのへ。
そんな風にやや拙い心遣いを向けられた側、
極楽浄土の主柱たる尊、釈迦牟尼様はといえば。
これが最後の抱擁とのつもりか、
胸元深くへ掻い込まれたままだったその懐ろから
どこか焦れているような、むずがりを滲ませた声を上げ、

 『…ごめんね。』
 『私こそ、キミがやさしいことへ甘えてた。』

 『…はい?』

え?今なんて言いましたか?と。
覚悟してたのとはちょっぴり方向の違うことを言われたような気がしたイエス様。
痛い文言を予測し、ぎゅうっとつむってた双眸を開いてみれば。
確かに 隠しごとが露見したかという項垂れた様子だったブッダではあったれど、
こちらへと上がってきた深瑠璃色の双眸は、
お別れを告げねばならぬという悲哀や
覚悟したはずなのにごめんねという罪悪感が凝ったような辛そうなそれではなくて。
強いて言うなら、何へかの強い強い含羞みに捕まってしまい、
口許をうにむにと噛みしめ、眼の縁を真っ赤に染めているそりゃあ愛らしい代物で。

 「え? ブ、ブッダ?」

何でそんなお顔になってるの?と驚きながらも、
困っているのは間違いない、
どうどうと宥めるようにして愛しい肢体を抱きすくめれば。
そんないたわりへの反応か、

 ふさあ…っ、と

質のいい絹糸のようななめらかさの、長くて豊かな深色の髪が一気にあふれる。
釈迦牟尼様の聡明さや沈着冷静さあってこその“螺髪”がほどけたほどに、
それはそれは動揺している如来様なのは明らかで。

 「ぶっだ…?」

一体どうしたのかと訊こうとしたイエスへと、

  私の困惑や何や、
  ここへと伝わってたから気がついたんじゃないのでしょう?

それこそさっきのイエスが発したような、
ちょみっと掠れて自信のなさげな震え声。
そんな頼りない声で問うたブッダが、手を伸ばしてそおと触れたのは、
掻い込まれていることで すぐ目の前になったイエスの胸元。
シャツの襟元から覗く鎖骨のくぼみから 少し降りた辺りの真ん真ん中であり。

 「? えと、うん。」

何を訊かれているものか、
やっぱり判らないでいたのも束の間。
イエスがどれほど頑張ったのかをそれこそ察し、
ならば自分もと思ったかのよに、
迷いもないではない様子だったのをくっと見切ってその手を持ち上げ。
自分の着ているシャツの襟元へときれいな両手をすべらせる。
指先を形よく揃えたお行儀のいい動作は、
舞いの所作事のようでもあって、
何とも印象的で、且つ、艶冶でもあり。
無意識のうち、見惚れてしまったイエスだったのだけれども。

 「…あ。」

ここに来てようやっと、
彼が露見しては恥ずかしいと思っていたらしいことが判明し、
ああこんなに私鈍感だったんだなぁなんて、
尚のこと思い知らされたヨシュア様だったのは言うまでもない。

 「…ごめんね、イエス。
  私、うっかりしていてあの大事な指輪を見失ってしまったの。」

一昨年のクリスマスの晩、
当時はまだまだ自分のお誕生日であることへ気づいてなかったらしいイエスは、
世の恋人たちがそうしているように最愛のブッダへの贈り物をと考えた末に、
こんなものでの誓約なんて戸惑わせるかもしれないけれどと前置きながら、
それでも、あなたが好きですという誠実な誓いとともに、
銀の指輪を釈迦牟尼様の薬指へと贈ってくれて。
特別製の聖なる代物なんかじゃあない、
駅前のショップで求めたファッションリングに過ぎなかったのに。
それも奇跡のうちなのか、
いやいや聖なる人たちの真摯な想いがこもったからだろか、
互いの嬉しい気持ちや心情や、はたまた心配や不安だとか、
いつの間にやら相手の指輪へ伝えることもあった優れものと化しており。

 “そっかそれで…。”

イエスの胸元、ちょうどそこに下がっている彼の指輪を指して、
自分の不安な気持ちを それで察知したわけじゃあないのでしょう?と
訊いた彼だったらしいのが、今頃判った朴念仁っぷりが少々口惜しい。

 “ぶっだ。”

貰ったものなのだからどう遇しようと儘にしていいはずで。
それに、器物に限らず万物これ総て、
いつかは損じて滅びるものとの教義を説いてもいる御仁。
だというのに、こればっかりはさすがに申し訳ないと思うのだろう。
神妙な声ではあったれど、
それでも視線は逸らさず真っ直ぐにイエスを見やって言い放ったブッダであり。

 「いつから、なの?」

いや、判ってたら速攻で探し始めているブッダだよねぇ…と。
訊いてから愚問だったかなって気づくよな、相も変らぬ自分の至らなさへ、
イエスが胸中にて酸っぱいものを感じ、同時進行で表情を凍らせかけておれば、

 「先週の末の、ほら、お風呂屋さんで七夕祭りの話を聞かれた日。」
 「そ、そうなんだ。」

すらすらというお返事に、
かすかに沸き立ちかけてたイエスの側の罪悪感まで、
あっという間に浄化されてて。(おいおい)

 “つか、それからだったらもう一週間近く経ってるじゃないのよ。”

自分がどれほど気づかずだったのか、
いやさブッダがどれほどさりげない振りを通せていたかへと、
感服してしまったほどで。

 “だって…。”

何でもないことだったはずがない。
くどいようだが、気もそぞろという風情を頻繁に覗かせたからこそ、
鈍感なイエスでさえ不審さに気づいたのであって、

 “今だって。”

視線を逸らすという、
逃げの態勢をとるとか及び腰な態度になるということはない彼だけど。
それでもあのね?
真っ赤になってるお顔といい、ほどけたまんまの髪といい、
指輪を失くしたこと、どれほど困ったと思っているのかは明白だったし。
自惚れて言うのじゃないが、ブッダはあの指輪をそれは大切にしてくれていて、

 「お風呂屋さんから戻ってきて、洗濯物を整理して。
  さあって、整理ダンスの上に載せてたいつもの小袋を手に取って。」

そうそう。
うっかり失くしてしまったら困るからと、
銭湯へ行くときはわざわざ首から鎖ごと外して、
お手製の守り袋へしまうのが習慣になっているほどなのに。
ただ、その時もいつも通りにそうしたのだとの仔細を語る彼が、
ここで初めて視線を下げたのは、
その瞬間に感じたことがまざまざと蘇って来たからだろうと思われて。

 「鎖を引っ張り出した感触も思えばなんか変だった。
  その先に指輪が下がっているなりの、
  小さめの重みとか引っ張りの抵抗とか全然なかったの。」

まずは何が起きたのかが理解できなかった。
あるべきものがないってこと、
見て取って認めるまでにあんなに間がかかったのは初めてではないかしら。

 「なんてのかな、
  視界に紗がかかったようになって、
  その分、周りの音が一気に一緒くたになって耳へ飛び込んできて。
  うなじを血の気が引いてく感覚がまざまざと感じられて。」

あのままでいたら、あらぬことを叫び出してたかもしれないくらい、
取り乱しかけていたのだけれど、

 「落ち着け落ち着けって、
  鎖は残ってるんだから、外したときにすべり落ちただけ。
  片手間に外したからそんなことになったんで、
  この部屋のどこか、足元に落ちてるのを探せばいいだけだって。」

もしかして貧血を起こして倒れたかもしれなんだ恐慌状態を、
何とか踏ん張って耐え抜いたらしく。
その時からの必至な覚悟をようようと思わせてのそれ、
何も下がってはない鎖の端を、
そのやさしいふくよかさを満たした胸元に握り込む彼なのへ。

 「ブッダ。」

そんなにしょげないでと励ますように、
イエスが腕の輪を縮め、愛しい肢体を引き寄せるよにして抱きしめる。
自分の頬が再びイエスの胸元へと触れるほど、
あらためて きゅうと包み込まれた感触に、やさしいいたわりを感じたのだろう。
ブッダもその視線をイエスのお顔へと戻したけれど、
まだちょっぴり何かしらの閊えが消えぬのだろう、
不安というかむずがりというかを飲み下せずにいる、迷子のような表情を見せてもいて。

 「でもごめんね。
  却ってイエスを不安にさせてたなんて、それこそ気がつかなかった。」

イエスから貰った宝物だからと懸命になってたとはいえ、
それでは本末転倒だよねと、
物の順番がさすがに判ってはいるからこそ、むうと口許をとがらせる。

 『だって晩は ちうしたらそのまますぐに寝入っちゃうし、
  避けられてるのかと思えばそうではなくて、
  さっきもそうだったけど、妙に心ここにあらずだったりもするし。』

そういえば、そんな言いようをされたんだと今になって思い出し、

 “えっとぉ…。//////”

こちらもこちらで
今になって赤くなってるブッダだったりするのだから世話はないのだが。

 「…ねえブッダ。」

いやあの、眠りにつく前の“抱っこ”がそんなだったのは、
早く寝てくれたらその後でこそこそ探せるかと思ったからで
でもイエスより私の方が寝つきはよくって意味がなかったかなって…なんて。
真っ赤になったまま、胸中にていろいろと言い訳を紡いでいたところへの、
ねえというイエスからの声掛けへ、

 「え? え? はい、えと なぁに?」

心の中を覗かれたわけでもあるまいに、
やや焦りつつもお返事を返せば、

 「そのこと、私に言えなかったのはサ、
  もしも知れたら いい加減に扱ってたなって叱られるとか、
  その程度のものだったんだって
  呆れられたり残念がられたりするとか思ったからなの?」

 「え?」

見つめてくるのは玻璃色の双眸。
自分が真っ直ぐ見据えると、照れくささから逸らすことが多い彼なのが、
今はそれ以上はないぞというほど、真剣な真っ直ぐさで見やってくれていて。
でも、あのその、

 「…えっと? 私、なんか他への気が全然まわってなかったみたいで、あの。」

何を訊かれているのか、判っていないらしいほどの覚束ない顔をする。
よくよく気も回るし、
世にはいろいろな立場の人がいるのだということも
様々な苦行から知りえているはずの人がこの反応。
ただただ人並はずれて聡明なだけじゃあない彼が、そんな風に言い返したものだから、

 「〜〜〜〜〜。///////」
 「いえす?」

今度はイエスの側が、お顔を真っ赤にし、
薄い口許をうにむにと噛みしめたりたわめたりという含羞みの態度を見せ始める。
何だどうしたとブッダが懐から見上げれば、

 「うん…ごめんね。//////」

ああ、落ち着け自分と叱咤するけど、どうしても顔が正直すぎていけない。
嬉しくてたまらぬのがだだ漏れで、それがブッダに申し訳なくて。

 「キミはきっと、
  指輪がないのを知って胸がつぶれるような思いをしたのだろうし、
  それからこっちのずっとも、
  気もそぞろになっちゃうほどに指輪のことばかり考えてて。」

私がこれは傑作だぞと思いついたネタを口にしても反応が薄かったのもそのせいで。
今日はとうとう談判に持ち込んだくらい放っておかれたのも、
それだけ指輪の行方を考えるので必死になっていたからで。

 「あのね? キミがそうまで、
  目許を潤ませるほど、髪をほどいちゃうほど
  必死だった辛かったってことが判ったのに。
  私ったら、そうだってことが嬉しくてしょうがないの。
  罰当たりもいいところなの。」

 「…え?」

そういえば、と。
見上げて見つめ直した愛しい君は、
肉薄の口許をどうにもこらえきれない笑みでほころばせてるし、
切れ長の双眸もやさしい形の弧にたわんでいて、

 「…嬉しい、の?」
 「うん。ごめん、怒らないで。」

時に泣きそうになりながら、はたまた焦燥に焦れながら、
私に気付かせまいとしつつの捜索をしていたキミなのだろうにね。

 「物に執着してはいけないと説く君が、なのに、
  あの指輪をそうまでして取り戻そうとしてくれてたなんて。」

あんな安物とか、怒ったりしないよぉなんて事もなげに言ったりしたら、
それこそ懸命な気持ちに失礼だと思えるほどに。
この、高貴な存在たる釈迦牟尼様から思われているなんてと、

 「ごめんなさい。嬉しいが過ぎて止まりません。」
 「う〜〜〜〜。////////」

お顔を見られたくないほどですとでも言いたいか、
ますますと腕の輪を縮め、
ぎゅむとブッダをその胸元深くへと抱き込めたイエスであり。
ああそろそろ梅雨も明けるのかなと、
その睦みようからついつい視線を逸らしたくなった
野次馬だったりしたほどでございます。










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 *間が空くと
  直前の展開をさらいてくなる悪癖が出ております、すいません。
  そりゃあ、イエス様にしてみれば、
  不安だった反動もあってのこと、
  きゃあvv なに言い出すのこの人ったらと
  嬉し恥ずかし大好き状態になろうというもので。(ドリカムか)


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